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香りが、記憶になる夜——赤坂おぎ乃が体現する、日本料理の純粋
2026.09.02

香りが、記憶になる夜——赤坂おぎ乃が体現する、日本料理の純粋

東京・赤坂の路地に灯る、七席だけの特別な世界。蓋を開けた瞬間に立ち昇る出汁の薫香、炭火が奏でる静かな音。「赤坂おぎ乃」では、日本料理が本来持つ「香りの力」が、訪れた者の五感を静かに解き放つ。 削りたての一瞬に、すべてが宿る 鰹節は、客に出す寸前に削る。 これが荻野聡士氏の流儀であり、「赤坂おぎ乃」の料理哲学の根幹にあるものだ。鹿児島・枕崎で捕れた身の締まった鰹を、千葉の業者が丁寧に加工した本枯節。血合い付きのものを店に迎え入れ、荻野氏自ら血合いを外してから削り出す。その薫香は格調高く、椀の蓋を開ける前から、すでに食卓の空気を変えている。 宮崎の温泉水を用い、季節ごとに種類を選び抜いた昆布とともに引いた一番出汁。その日の気候にまで心を配りながら取られる出汁は、単なる料理の土台ではなく、それ自体が荻野氏の感性と技術の結晶といえる。「香りを第一に考える」——この言葉が示すように、嗅覚から始まる体験こそが、この店における食の序章なのだ。 1987年、東京生まれの荻野聡士氏は、高校を卒業するとすぐに京都へ渡り、日本料理の名門・嵐山吉兆の門を叩いた。8年間の修業ののち帰京し、銀座「小十」にて5年間、さらに姉妹店「銀座奥田」では店長の大役を2年間にわたって全うした。日本を代表する名店で積み上げた技と感性を携え、2020年3月、33歳の若さで東京・赤坂に自らの店を構えた。 炭火の香りは、日本の記憶 店の調理場の中心には、大きな焼き台がある。 「炭火焼きの香りは日本の香り」——荻野氏のその確信が、この設えに込められている。オープンキッチン越しに客席まで届く炭の薫りは、単なる演出ではない。食材が炎の熱に包まれ、その本来の旨味が凝縮されていく瞬間の、正直な証言だ。 PDFに掲載された秋の名物料理「のどぐろ味噌柚庵焼」は、その哲学を体現した一皿だ。豊かな脂の乗ったのどぐろを三枚に卸し、白粒味噌と柚子を合わせた味噌柚庵床に三度ほど漬けながら炭火でゆっくりと焼き上げる。マイクロプレインで削り出した渋皮の苦みと、生の黒無花果が添えられ、炭火が引き出した脂の甘みを一段と際立たせる。口に含めば、味噌の馥郁とした香り、栗のような甘み、脂のうま味が順を追って展開し、最後に炭の余韻がふわりと消えていく。 もうひとつの食事の主役、「鮭いくら木の子ご飯」もまた、この炭火の仕事が光る。鮭を炭火でじっくりと焼き、のどぐろなど魚の骨を丁寧に取って炊き出した濃厚な潮出汁で米を炊き上げる。秋の恵みを余すことなく受け止めた土鍋の中で、鮭・いくら・木の子が重なり合い、豊かで滋味深い食事の時間を生み出す。 季節を食べる——歳時記が宿る、一期一会のコース 「赤坂おぎ乃」のコースには、カレンダーがある。 春は菜の花や蛤、初夏には鮎と梅雨の湿気に寄り添う清澄な出汁、秋には松茸・栗・のどぐろ、冬には牡蠣や河豚と、旬の頂点だけを切り取るように食材が選ばれる。しかしこの店が他と一線を画すのは、食材の季節感だけではない。雛祭、七夕、重陽——日本古来の歳時記と節句が、コースの構成そのものに静かに織り込まれているのだ。 たとえば桃の節句の夜には、色と形で春の到来を告げる器が揃い、食材もまた女性の晴れ着のように華やぐ。七夕には天の川を思わせる盛り付けが現れ、料理は視覚からも物語を語り始める。荻野氏にとって、歳時記とは単なる飾りではない。日本人がかつて当たり前のように感じていた「時の移ろい」を、食の場で取り戻す試みだ。 多彩な食材を一皿に盛ることで、料理の知識が前向きに試される楽しさがある——荻野氏はそう語る。客が料理と向き合い、食材の名を問い、季節の意味を感じ取る。その対話の時間もまた、「赤坂おぎ乃」が提供する体験の一部なのだ。 コース中盤に供される八寸は、この哲学が最も凝縮された瞬間かもしれない。山海の食材が彩り豊かに盛り込まれた八寸の皿は、春夏秋冬のどの季節に訪れても、その時節の小宇宙を映し出す。盆の中に収まった季節の断片を、日本酒や作家物の酒器とともにゆったりと味わう時間は、喧騒の東京にいながら、日本の時間の流れへと静かに帰っていくような感覚をもたらす。 七席が語る、五感で感じる日本料理 「赤坂おぎ乃」の客席は、カウンター七席のみ。 この数字は制約ではなく、選択だ。荻野氏が料理人として最もよい状態で向き合える人数、そして一人ひとりの客が、調理の音と香りと所作を間近に感じながら過ごせる距離感——それがこの七席に凝縮されている。客が来店してから出汁を取り、米を炊く。その日の最上を、その日に来た人だけに届けるために。 白木のカウンターに静かに腰を落ち着ければ、荻野氏が刺身を切り分ける美しい所作、炭火の上で食材が変容していく様子が目に入る。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚——五感のすべてが、この空間では研ぎ澄まされていく。器は現代作家による個性的な作品が選ばれ、料理と器のマリアージュが生み出す盛り付けのダイナミズムもまた、この店でしか出会えない瞬間だ。 「お店を出るときにはお腹いっぱいになって帰っていただけたら嬉しいです」と語る荻野氏の言葉には、技への矜持と、客への純粋な気遣いが混ざり合っている。知識や格式を誇示するためではなく、目の前の人に最良の時間を届けるために料理をする——その姿勢こそが、「赤坂おぎ乃」を訪れた者が帰り道に感じる、あの静かな幸福感の正体ではないだろうか。 赤坂の夜に、香りとともに刻まれる記憶がある。それはきっと、単なる食事の記憶ではなく、日本料理という文化が本来持つ力を、改めて体に教えてもらった夜の記憶だ。

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