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Experience
通常では足を踏み入れることのできない場所、一般には公開されない特別なイベント。会員だけに届く、上質な体験をご案内します。
「自由でプレミアムなアルコールブランド」——CRAFT WONDERが問う、日本の酒造りの新しい地平
日本各地の小さな酒造に眠る、比類ない技術と想い。それを世界へ届けるために、ひとつのブランドが生まれた。「CRAFT WONDER」は、造り手の情熱とブランドの審美眼が交差する場所から、想像を超える驚きの一杯を世に問い続けている。 日本の技術を輝かせたい——原点にあった、ひとつの誓い ブランドの誕生を語るには、代表・中川の学生時代まで遡らなければならない。 大学在学中、服飾専門学校にダブルスクールで通っていた中川は、地方の染め物職人や縫製工場を訪ね歩く機会を得た。そこで目にしたのは、豊かな歴史と精緻な技術を持ちながら、その価値が十分に伝わらぬまま静かに在り続ける職人たちの姿だった。「日本の技術、歴史、想いのある造り手を輝かせたい」——その感情は、やがてひとつの志として胸の奥に根を張り続けることになる。 時は流れ、三越伊勢丹、コンサル、広告代理店、ベンチャーと異色のキャリアを歩んだ末に、中川は前職時代に副業で酒造のブランディングへ携わる機会を得る。そこで出会ったのが、新潟麦酒が実験的に試作していた一本のビールだった。ウイスキーのミズナラ樽で熟成されたそのビールを口にした瞬間、かつて地方の工場で覚えた感動が、鮮やかによみがえった。「これは想像を超えていた」——その確信が、CRAFT WONDERという物語の幕を開けた。 三つの軸が交わるとき、驚きは生まれる CRAFT WONDERが商品を世に出す基準は、明快でありながら、本質を突いている。 「造り手が持つこだわりの製造技術」「確立していない新たなカテゴリの創造」「現代の美意識から生まれる見た目」——この三つの軸が掛け合わさったときにだけ、ブランドは「WONDER」と名付ける許可を与える。どれかひとつが欠けた商品は、たとえどれほど完成度が高くとも、CRAFT WONDERの棚には並ばない。 醸造そのものは全国各地の中小酒造に委ねながら、レシピ開発や味わいのブラッシュアップまで、ブランドメンバーが対等なパートナーとして関与し続ける。つくり手の専門性を尊重しながらも、消費者の感動を起点に逆算する視点を持ち込む。その往復の中から、既存のジャンルには収まらない個性ある液体が生まれていく。 こうした哲学に共鳴した酒造たちが、CRAFT WONDERの世界観を支えている。新潟麦酒とはとあるご縁から始まり、ビールへの揺るぎない熱意に惚れ込んだ。岩手のK.S.Pとは、会員制バーで飲んだカシスリキュールの一杯が縁を紡いだ。沖縄・まさひろ酒造は、中川が酒の世界に足を踏み入れるきっかけとなった場所そのものだ。それぞれの出会いに物語があり、その物語がそのまま商品に宿っている。 一本の中に、日本のすべてがある 現在、CRAFT WONDERが展開する商品は、いずれも日本酒造の底力を別の角度から照らし出す試みだ。 新潟麦酒と共に生み出した「Barrel Wonder」は、通常の1.5倍のモルトを惜しみなく使ったアンバーエールを、希少なミズナラ樽で5ヶ月間熟成したバレルエイジドビール。1ヶ月から6ヶ月超まで多様な熟成パターンを試し、5つ星ホテルのバーテンダーや百貨店のバイヤーを交えた試飲を重ねた末に選ばれた、5ヶ月という時間が持つ均整。柑橘とカカオのニュアンスにミズナラが溶け込む複雑な香りは、温度によって表情を変え、飲み手を飽きさせない。バレルエイジドビールというジャンル自体、アメリカやイギリスでは定着しているが、ミズナラ樽を用いた純日本産という試みは、国内においてまだ地図に載っていない領域を切り拓くものだ。 「Eisbock Wonder」はさらに稀少性において際立つ。南ドイツ発祥のアイスボック製法——タンクごと凍らせることで水分を取り除き、エキスを凝縮させる手法は、日本で恒常的に製造し続けるブリュワリーが存在しない、まさに幻の技術だ。製造コストと難易度から多くが手を引くこの製法を、CRAFT WONDERは価値の言語化と高付加価値チャネルでの流通にコミットすることで実現した。造り手の「できる」を引き出すのではなく、造り手が「やりたい」と思っていながら諦めていたことを解放する——そのアプローチがこのブランドの独自性を形成している。 奈良県産の高級いちご「古都華」だけを素材に据えた「STRAWBERRY WONDER」は、香料も着色料も一切使わない。古都華の甘みと酸味が際立つ品種特性を最大限に引き出すために、あえて天然素材だけで向き合った一本だ。岩手のK.S.Pが長年培ってきたリキュール製造の技術と、素材への深い敬意が交わったところに、この透明な美しさは生まれている。 そして、「Rice Whisky Wonder MIZUNARA」。創業143年の沖縄・まさひろ酒造が育んだ泡盛古酒を、5樽のミズナラ樽でさらに熟成させた至高の一本は、日本唯一の亜熱帯気候という立地と、日本最古の國酒である泡盛の製造技術という二つの唯一性が重なって生まれた。台湾のカバランを超えるウイスキーを沖縄の地から生み出すという野望が、このボトルには封じ込められている。 一杯が、食卓に物語を加える CRAFT WONDERの商品は、それ自体が完結した芸術作品でありながら、食との対話においてさらに豊かな表情を見せる。 Barrel WonderとEisbock Wonderは、フレンチや中華の煮込み料理、しっかりとした味わいの料理と合わせることで、互いの複雑さが引き立て合う。あるいは食後に、ナッツやチーズを小皿に載せてゆっくりと傾ける時間も、このビールにふさわしい愉しみ方のひとつだ。スパイスを効かせた料理や、生チョコ、シャルキュトリー、パウンドケーキのようなデザートとも相性が深く、ペアリングの幅広さは通常のビールの域を超えている。 お米由来のまろやかさとすっきりとした後口を持つRice Whisky Wonder MIZUNARAは、焼肉や焼き鳥、繊細な和食との親和性が高い。食材本来の旨みを消すことなく、むしろその余韻を引き伸ばすように寄り添う。 STRAWBERRY WONDERは、意外にも肉料理との相性が印象的だ。ベリーソースと馴染みの深い鴨肉や焼き鳥、ステーキと組み合わせると、甘みと酸味が料理の脂と溶け合い、一口ごとに新しい発見をもたらす。バニラアイスにひと垂らしすれば、瞬く間に大人のデザートへと姿を変える。 特別な記念日の夜に、あるいは何気ない日常のふとした贅沢として——CRAFT WONDERが理想とするのは、食が好きで、定番を超えた個性ある一杯を求める人たちの、日常に寄り添う存在だ。上質でありながら肩肘を張らせない。その心地よさが、このブランドの真髄にある。 驚きは、まだ地図に載っていない場所にある 「自由でプレミアムなアルコールブランド」——CRAFT WONDERが掲げるこの言葉には、二つの意志が宿っている。ひとつは、既存のカテゴリや常識に縛られない自由。もうひとつは、一切の妥協を排した品質への誇り。 食が好きで、定番よりも個性ある新しいものを求めている人に。ライフスタイルをもう少し豊かにしたいと感じている人に。記念日の夜でも、日常のふとした瞬間でも——CRAFT WONDERの一杯は、想像していなかった感動を手のひらに届けようとしている。 今後はビール・リキュール・ウイスキーのラインナップ拡充に加え、本格焼酎をベースとした新ジャンルの開発、そして世界的な需要の高まりを受けたノンアルコール商品の開発も進む。台湾を起点とした東アジア・東南アジアへの進出はすでに動き始め、数年後には世界における日本産酒類の価値向上に貢献するブランドへと進化することを、中川は静かに、しかし確かな眼差しで見据えている。 日本の小さな酒造たちが持つ技術と情熱は、まだほとんど世界に知られていない。その宝を掘り出し、言葉と美意識を与えて届けること。CRAFT...
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和牛は、日本料理である——「日本焼肉 はせ川」が問いかける、美食の本質
銀座の夜、煙も喧騒もなく、静かに和牛と向き合う場所がある。「日本焼肉 はせ川」が切り拓いてきたのは、ひとつのジャンルではなく、日本の食が進化する先の景色だ。 固定観念を溶かす火——「日本焼肉」という問いの誕生 焼肉とは何か、と問われたとき、あなたはどんな情景を思い浮かべるだろう。煙と喧騒、鉄板の上で踊る赤身の肉。それは確かに、豊かな食体験のひとつだ。しかし、はせ川が差し出すのは、その記憶とはまったく異なる静かな問いかけである——「和牛は、日本料理のはずだ」と。 大阪・心斎橋に一軒の寿司店が産声を上げたのは、2005年のことだった。日本料理と寿司を一つの店で表現するという、当時としては異端ともいえる試みを経て、創業者・古塚建一の眼差しは常に「日本文化の継承と、その先にある進化」へと向けられていた。銀座への進出を果たした2016年、彼は次なる問いを立てた。日本が世界に誇る食材「和牛」が、なぜ韓国式の焼肉スタイルで供されなければならないのか。旬の食材を生かし、器と空間と所作が一体となって初めて完成する日本料理の文脈で、和牛を主役に据えたとき、何が生まれるのか。 「日本焼肉 はせ川 銀座本店」の誕生は、その問いへの静かで確かな回答だった。煙を最小限に抑えた特製の焼き台、季節ごとに吟味された野菜と薬味、職人の手による繊細な切り分け。すべてが、和牛を「日本料理の主役」として迎えるための舞台装置として機能している。匂いが衣服に残らない、胃にもたれない、料理構成が体に寄り添う——それは快適さの追求ではなく、日本料理本来の美学が自然にたどり着く帰結だ。 和牛の魅力を語るとき、しばしば見過ごされるのが「調理法」という視点だ。薄切りという加工の哲学、内臓まで含めたあらゆる部位を味わい尽くす食文化、そして素材に寄り添う火の使い方。海外では厚切りで供されることの多い和牛も、日本固有の調理哲学のもとに置かれたとき、はじめてその本質が開く。はせ川が体現しているのは、まさにその積み重ねだ。 五感を揺さぶる「感動分岐点」の哲学 はせ川のカウンターに座った人が口にする言葉は、しばしば「想像を超えていた」だ。この言葉の裏には、古塚が長年にわたって磨き続けてきた哲学がある。彼はそれを「感動分岐点」と呼ぶ。事前に抱いていた期待値を大きく超えたとき、人は初めて「感動」という体験に辿り着く。その瞬間を意図的に、繰り返し生み出すこと——それがはせ川というブランドの根幹をなしている。 料理は、器と一体となった作品である、と古塚は語る。現代陶芸の旗手として知られる陶芸家・内田鋼一氏に依頼した器は、料理が盛られることで初めて完成する。日本を代表する左官職人・久住有生氏が手がけた店舗内装は、訪れるたびに四季の空気を湛える。名もなき工務店ではなく、想いを共有する職人との協業によって生まれた空間は、単なる飲食の場を超え、日本文化そのものの体験へと昇華されている。 カウンター越しに目の前で繰り広げられる職人の所作、歳時記に従って変わる季節の演出、客の好みや来店目的を事前に把握した上で調整されるおもてなし。平均滞在時間は約3時間30分。それはただの食事の時間ではなく、日本文化という名の旅に身を委ねる時間だ。 その証左として、はせ川には「マイ箸」という文化が息づいている。名前を刻んだ箸を贈られた顧客が、特別な日のたびにこの場所を選ぶ。「困ったときのはせ川さんだよね」——そう語るリピーターの言葉は、単なる満足ではなく、信頼と愛着の深さを静かに物語っている。 東京は、こうした和牛体験を求める旅の目的地として、世界の美食家たちから選ばれ続けている。東京都中央卸売市場食肉市場を擁するこの街には全国のブランド牛が集まり、目利きが集う流通の中枢として機能している。松阪牛、神戸ビーフ、近江牛、米沢牛——全国300種類以上ともいわれるブランド牛の精粋が一堂に会する舞台で、はせ川は厳選の眼差しを持って素材と向き合い続けている。 伝統は守るものではなく、進化させるもの——和牛が問う、日本料理の未来 ユネスコ無形文化遺産にも登録された「和食」は、海外から高い関心を集める一方、日本国内では日本料理人のなり手が急減している。専門調理師認定証書の交付数は、2008年と比べて2021年には半数以下にまで落ち込んだ。伝統の継承ばかりが先行し、新しいトレンドを生み出すという若者の憧れと逆行したイメージが、日本料理を「古いもの」として遠ざけている。 はせ川が問い続けてきたのは、まさにそこだ。伝統とは、守ることではなく、進化させることで初めて生き続けるのだと。固定観念にとらわれることなく「日本焼肉」という新ジャンルを切り拓いた試みは、開業当初こそ認知に時間を要したが、今や銀座・表参道・別亭銀座と店舗を着実に広げ、多くの訪日外国人客からも高い支持を集めている。高級ホテルのコンシェルジュが率先して紹介するレストランとして、その評判は口コミと確かな体験を通じて広がり続けている。 近年、和牛の需要と評価の高まりとともに「和牛の本質的なおいしさとは何か」を問う声が、国内外で増している。重層的な香りと旨み、余韻、食文化や作り手の意志が感じられるかどうか——そこにこそ、次の和牛体験の扉がある。畜産農家、シェフ、そして食べ手が一体となって和牛料理の進化を促していくという流れは、はせ川が20年余をかけて磨いてきた哲学とそのまま重なる。 和牛を通じて日本文化の精髄に触れ、職人のおもてなしに包まれ、器と空間のアートに心を揺さぶられる夜。あなたが次に「特別な夜」を探すとき、その選択肢の中に「日本焼肉」という新しい扉が、静かに、しかし確かに、開かれている。 東京という舞台——希少が、ここに集う理由 銀座という街を選んだことには、必然がある。東京には日本最大級の食肉市場があり、松阪牛、神戸ビーフ、近江牛、米沢牛——全国300種類以上ともいわれるブランド牛の精粋が、日々この都市へと集まってくる。品質と価値が測られる流通の中枢であるがゆえに、目利きの眼差しも、確かな素材も、東京に引き寄せられる。はせ川がこの地に根を張るのは、その連鎖の必然だ。 そうした土台の上に立って初めて、はせ川の「厳選」という言葉は重みを持つ。全国から集まる和牛の中から選び抜かれた素材は、丁寧な下処理を経て、職人の手へと渡る。タンという部位がある。流通量が少なく、和牛のタンを供せる店はそれほど多くない——そのことを知ると、カウンターに置かれた一切れの向こう側に、見えない連鎖の深さが浮かび上がってくる。ハラミもまた然り。筋肉の内側まで霜降りをまとったその断面は、和牛という生き物が積み重ねてきた時間の結晶だ。 火を入れるとき、職人の指先は素材と対話する。強く、速く、そして最後に静かに——その緩急の中に、日本料理が長い歳月をかけて培った火加減の哲学が宿っている。焼く、という行為がこれほど雄弁になる瞬間を、はせ川のカウンターでなければ、どこで出会えるだろう。 素材が火に出会い、器がそれを受け止め、空間が余韻を包む。はせ川とは、そのすべての接点に職人の意志が宿る場所だ。銀座の夜に、静かに、しかし確かに——ここにしかない時間が、幕を開ける。
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280年、畳と生きる——久保木畳店が問い続ける、日本の美の継ぎ方
畳を踏んだ瞬間、誰もが少しだけ息を緩める。い草の香り、足裏に伝わる柔らかな弾力、光の当たり具合で変わる緑の濃淡。それは機能というより、身体の奥に刷り込まれた記憶のようなものだ。福島県須賀川市で創業から280年以上を重ねる久保木畳店は、その記憶を次の世代へ、そして世界へと手渡すために、今日もい草と向き合っている。 継ぐことへの覚悟、素材との対話から始まった 久保木畳店十五代目・久保木史朗氏は、はじめから家業を継ぐつもりではなかった。だが、父から届いた一通の手紙が、その道を変えた。そこには業界の苦境が率直に綴られていた。読み終えたとき、「畳を絶やしてはならない」という思いが静かに芽生えた。 代を継ぐと決めた久保木氏がまず向かったのは、い草の産地として知られる熊本・八代だった。そこで初めて、生産農家の仕事と真正面から向き合った。刈り取り、泥染め、乾燥——一つひとつの工程に、長い年月をかけて磨かれてきた知恵と手間が詰まっていた。それを知ってから、素材を選ぶ目が変わった。 最高級の畳表は、安価なものと比べて厚みがあり、耐久性にも大きな差がある。日焼けを経ても黄金色の美しさを保つその姿は、時間を味方につけた素材の強さを示している。しかし市場では「安価であること」が選ばれる理由になりがちだった。久保木氏は焦らず、品質を示し続けることを選んだ。職人、生産者、使い手——三者がともに報われる関係を築くために。 形を変えることが、文化を残すことだ 久保木氏が口にする言葉がある。「伝統を残すには、形を変えて現代に順応させていくことが必要だ」と。その言葉を最もよく体現しているのが、畳コースターの誕生だろう。 ある高級寿司店からの依頼をきっかけに生まれたこの小さな正方形は、和室を持たない空間にも畳の趣をそっと持ち込む。い草の香りを纏い、グラスや器の下に静かに佇む姿は、見る者に日本の奥行きを思わせる。口コミだけで、国内外の飲食店や個人のもとへと届くようになった。久保木氏はそれを「営業した結果ではなく、欲しいと思ってもらえるものづくりをした結果」と語る。 置き畳の展開も、同じ発想から生まれている。洋間のフローリングの上に敷けるよう設計されたこの畳は、海外の住宅にも自然になじむ。畳の語源は「畳むもの」——もとは板の間に敷く薄いものを指していた。その原点に返ることで、新しい可能性が広がった。 福島・須賀川の畳ビレッジ、そして東京・銀座の店舗では、香りを嗅ぎ、足で踏み、手で触れ、自ら制作体験もできる場を設けている。靴を脱いで畳に腰を下ろした瞬間、来訪者の表情がほどける。い草が持つ力は、言葉よりも先に人の身体に届く。 畳が世界の扉を開くとき 久保木氏が家業を継いでからの5年間で、久保木畳店の畳は30か国以上へと届くようになった。海外展開の糸口となったのも、畳コースターだった。世界各地に出店する日本の寿司店へ納めるうちに、そこを訪れる外国人客の目に止まり、「自宅にも欲しい」「インテリアとして使いたい」という声へとつながっていった。 東京・銀座の店舗は、その戦略の要でもある。世界中から訪れる旅行者が、小さな畳を手に取り、その香りに顔をほころばせる。「この感覚を持ち帰りたい」——そう思ってもらえる瞬間を積み重ねることが、久保木氏の描く世界への歩みだ。 「世界中の人が、畳を素敵だと思う未来をつくりたい」。その言葉には、使命感と夢が等分に混ざり合っている。国内でシェアを競うのではなく、畳そのものの価値を高め、新たな市場を育てていく。2020年1月、スーツケース一つに畳を詰め込んでニューヨークへ向かった日から、その挑戦は続いている。 ある夜、久保木畳店の畳コースターが、日本酒の香りと共にゲストの前に置かれた。い草の穏やかな香りと、グラスから漂う酒の余韻が静かに重なったとき、そこにいた誰もが、日本という土地の奥行きを五感で感じたという。和の文化が、異なるかたちで呼応し合う瞬間だった。 香りと手仕事が紡ぐもの い草の香りは、記憶と結びついている。幼いころ祖父母の家で嗅いだあの匂い、夏の夜に畳の上で聞いた虫の声。それはデータにも数値にもならないが、人の心に深く刻まれる。久保木畳店がものづくりを通して届けたいのは、そういう種類の豊かさだ。 機能性でも合理性でもなく、日本人が長い年月をかけて育ててきた「畳の良さ」——断熱性や柔らかさといった実用の先に、言葉にならない情緒がある。それを形に宿らせ、現代の暮らしに、そして世界のどこかの部屋に届けること。280年を超えて続く久保木畳店の仕事は、そのひと言に集約される。 伝統は守るものではなく、手渡していくものだ。久保木史朗氏の仕事を見ていると、そう思わずにいられない。
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追求する者だけが辿り着く場所——日本料理「日本橋 心」岡田隼が紡ぐ、真心と四季の饗宴
名だたる日本料理店がしのぎを削る日本橋に、2025年6月、食通たちが静かに注目する一軒が暖簾を掲げた。「日本料理 日本橋 心」。店主・岡田隼氏は数々の料亭やホテルで研鑽を重ね、浅草の名店「かにかとう」の立ち上げにも携わるなど、技術と経験は折り紙付き。凛とした和の空間で繰り広げられるのは、日本の四季と美意識を映した料理と、真心を込めたおもてなしだ。 追求できる仕事だから、料理人を志した 岡田氏が料理人の道を選んだのは20歳のとき。「追求できる職業であったから」というその言葉には、飾りがない。技術に終わりがなく、感性を磨き続けることができる——そこに料理という仕事の本質を見出し、迷いなく歩み始めた。 修行時代に最も大きな影響を受けた人物が、師匠・長島博氏だ。築地本願寺「日本料理 紫水」で料理長・専務取締役総料理長を歴任し、「現代の名工」受賞、「黄綬褒章」授与、「日本食普及親善大使」就任、「旭日双光章」受章と、日本料理界に数々の足跡を刻んできた名匠だ。料理の技術と感性はもとより、スタイリッシュなファッションに至るまで、その佇まい全体が研ぎ澄まされていた。料理人とは厨房の中だけに生きるのではなく、生き方そのものが料理に滲む——そのことを、師の姿から学んだ。 独立後も、師から受け継いだその眼差しは変わらない。日本橋という土地を選び、この店に込めた思いもまた、技術と感性を追い求めてきた歳月の、自然な帰結だった。一枚板のカウンターの前に立つたびに、師の背中が重なる。料理人とはどう生きるべきか——その問いへの答えを、岡田氏は今日も一皿ずつ、静かに積み重ねている。 季節が変わるたびに、新しい食卓が生まれる 「日本橋 心」のコースは、日本の四季と美意識をそのまま皿に映し出すことを軸に構成されている。先付から椀、造り、焼き物、煮物、食事へと流れる会席の骨格を大切にしながら、その月の最良の素材を中心に据えて献立を組み立てる。春の山菜、夏の鱧、秋の松茸、冬の寒鰤——素材が変われば料理の表情も変わり、季節を重ねるごとに異なる食卓が生まれる。 献立には必ず一工夫の手間を加えるという岡田氏の姿勢は、コース全体の体験設計にも及ぶ。単に料理を順番に出すのではなく、一品ごとに温度・食感・香りの緩急を意識しながら、食卓全体を一つの物語として組み立てる。卯月の献立も春の豊かさが一皿一皿に満ちている。先付には焼き筍と桜鱒の木の芽味噌和え、赤目河豚の叩き。春を象徴する三種が静かに食欲を呼び覚ます。椀は太刀魚と若芽の真薯に玉子豆腐と木の芽を添えた繊細な一椀。造りには昆布締めにした桜鯛と、蛍烏賊の唐墨和え——春の海の恵みが凝縮された盛り合わせだ。焼き物には本鮪大トロの山葵焼き、揚げ物には鰆の巻繊揚げと続き、逸品として尼鯛の炭火焼きを潮仕立てで供する。炭火の香ばしさと出汁の清潔な旨みが重なる瞬間に、この店ならではの技が光る。肉皿には日本一こだわり卵を使った和牛すきしゃぶ、食事には河豚の唐揚げご飯、水菓子には苺ゼリーで静かに締めくくる。 接待利用がメインでありながら、料理は超高級店にも引けを取らない水準を保つ。大切な人を連れてきたい、この店でなければ伝わらない何かがある——そう感じてもらえる食卓を、岡田氏は日々積み重ねている。 素材が語るとき、料理は完成する 毎週、岡田氏は自ら豊洲市場へ足を運ぶ。仲買との顔の見える関係を長い時間をかけて築き上げることで、その日最良の状態にある食材に出会えるようになった。「助け合いの精神」——その言葉が示すように、素材との向き合い方は、生産者・仲買との人間的な信頼関係の延長にある。良い食材は、良い関係からしか生まれない。その確信が、毎朝の市場通いを続けさせている。 仕入れた素材の良さを最大限に引き出すために、岡田氏が心がけるのは「一工夫の手間を加えること」だ。素材をそのまま出すのではなく、熟成・火入れ・仕立ての各段階で丁寧に手を入れることで、素材が本来持つ旨みや香りを余すことなく引き出す。昨今の飲食店インフレに抗い、低価格で高品質な料理を届けるという姿勢も、この「素材への誠実さ」と表裏一体だ。超高級店にも引けを取らない料理を、より多くの人が手の届く価格で楽しめるように——そこに岡田氏の矜持がある。 旬を象徴する一皿として今の季節に供されるのが「尼鯛炭火焼き 潮仕立て」だ。上品な甘みと繊細な旨みを持つ尼鯛を選び抜き、炭火でじっくりと焼き上げる。表面は香ばしく、身はしっとりと水分を保ったまま——炭火だけが生み出せる火入れの妙がそこにある。潮仕立ての出汁をまとわせることで、炭の燻香と澄んだ海の旨みが静かに重なり合う。素材・火・出汁——その三つが一皿の中で調和してはじめて完成する、春ならではの逸品だ。 日本橋に生きる、料理人の矜持 「心のこもったおもてなし、料理を大切にしております」——岡田氏のその言葉は、短くて飾りがない分、重みがある。凛とした和の空間に一枚板のカウンターと個室が設けられた「日本橋 心」は、静かで上質な時間が流れる場所だ。個室は最大20名まで収容でき、カウンターを合わせると30名以上の利用にも対応できる。会食・接待・記念の席——様々な用途に応じながら、どの席にも落ち着いた空間とおもてなしが行き届く。 名だたる日本料理店がしのぎを削る日本橋という土地に根を下ろし、技術と感性を追求し続ける料理人が、一夜一夜を丁寧に積み重ねていく。素材が語り、炭火が香りを纏わせ、真心が食卓を整える——「日本橋 心」は、そういう場所だ。
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炭火が結ぶ、素材と人と季節——ジャヌ東京「SUMI」が描くコンテンポラリー炭火焼きの世界
麻布台ヒルズの夜景と、遠く輝く東京タワーの赤い灯。その眺望を静かに背負いながら、炭火の熾る音だけが空間に低く響く。ジャヌ東京に佇む炭火焼きレストラン「SUMI」では、日本の伝統的な調理法が、現代の美意識と交差する瞬間がある。 "繋がり"を体現する場、ジャヌ東京という空間 アマングループが世界で初めて立ち上げた姉妹ブランドホテルとして、2024年に誕生したジャヌ東京。東京・麻布台ヒルズに構えるこのホテルが掲げるのは、「繋がり」というコンセプトだ。人と人、食と酒、文化と現代——それらが交差する場をつくることが、ジャヌ東京の根幹にある。 80の客室と7つのレストランを擁するこのホテルの中でも、SUMIはとりわけ独自の体験を宿す場所として位置づけられている。炭火焼きという日本古来の調理法を、コンテンポラリーな解釈でゲストへ届ける。カウンター13席のみという凝縮された空間が、料理人とゲストの間に生まれる緊張と信頼を際立たせる。 その場所の主役は、料理長・大塚久輝氏だ。1975年、東京生まれ。インターコンチネンタル東京ベイ「なだ万」をはじめ、パーク ハイアット東京「梢」などで日本料理の精髄を磨いた。さらに10年以上にわたり、亀有の「吟八亭 やざ和」で蕎麦にも真摯に向き合い続けたという経歴が示すように、大塚氏の料理への姿勢は、一方向ではなく、日本の食文化の奥行きを広く吸収してきたものだ。2024年のジャヌ東京開業とともに、SUMIの料理長として厨房に立つ。 引き算の美学。炭火が素材に語りかけるとき 「極力味をつけず、炭の香りを纏わせるシンプルな調理法で、素材の良さを活かす」——大塚氏が語るSUMIの哲学は、引き算の美学に貫かれている。 長崎をはじめとした各地から産直で届く旬の素材は、余計な手を加えることなく炭火へと委ねられる。炭が持つ高い燻香こそが、この厨房における最大の表現手段だ。外側はパリッと香ばしく、内側は驚くほどしっとりと——そのコントラストは、フライパンや蒸気では到達できない炭火だけの領域にある。 カウンター13席で供されるおまかせコース「燈(ともしび)」は、その哲学が凝縮された一夜だ。一皿ごとに異なる表情を見せる炭の仕事。変わりつくねに葱塩とキャビアを重ねた「炭遊び」のような遊び心ある一品から、黒毛和牛サーロインを朴葉に包んで焼き上げる豊かな一皿まで、季節と素材が物語を紡いでいく。菊芋などの根菜が持つ自然な甘みや旨みをそのままに届ける野菜料理もまた、炭火という媒介を通じて、新たな輝きを帯びる。 一方、テーブル席では「おまかせ 集(つどい)」と題したコースも展開している。季節の前菜から二段重、黒毛和牛の炭火焼、釜炊きご飯、そして炭香るデザートへと続く流れは、大切な人との「集い」を豊かに彩るために設計されている。カウンターの研ぎ澄まされた緊張感とは異なる、温かく開かれた食卓がそこにある。 五感で満たされる、一期一会の体験 SUMIが大切にしているのは、「五感で感じる体験」と、「ここでしか味わえない一期一会の世界」だ。料理と空間、そしてサービスが一体となってゲストを包み込む——それがジャヌ東京の「繋がり」というコンセプトを、最も具体的に体現している場所でもある。 海外からのゲストも多いジャヌ東京では、プレミアムワインや日本酒とのペアリングも食事の重要な一部として組み込まれている。なかでも日本酒への関心は年々高まっており、大手銘柄だけでなく、こだわりを持つ小規模な蔵の酒を選び抜いてゲストに届けることも、ホテルとしての使命として位置づけられている。SUMIのカウンターでは、選び抜かれた日本酒が、炭火料理の繊細な香りや旨みと静かに響き合う。ある夜のコラボレーションディナーでは、日本酒ブランドMINAKIとの特別な一夜が設けられ、料理と酒が織りなす多層的な体験が生まれた。 サステナビリティへの視点もSUMIの料理哲学に息づいている。食材の未活用な部分にも価値を見出し、創造性を持って料理に組み込む姿勢は、大塚氏が「伝統と革新の調和」と表現するSUMIのあり方そのものだ。 炭火の余韻が、記憶になる夜 食事を終えてホテルを後にするとき、炭の香りがどこかに残っているような感覚がある。それは錯覚かもしれないが、SUMIで過ごした時間がそれほど深く身体に刻まれたということでもある。 料理と酒、空間と人との繋がりが生む豊かさ——大塚料理長が言葉を選びながら語ったその一文が、SUMIという場所の本質を最もよく言い表している。炭火は、素材に語りかけ、空気に香りを宿し、そしてその夜だけの記憶をゲストの中に残していく。 東京タワーを望む麻布台の夜、「SUMI」のカウンターに腰を下ろすとき、それはただの食事ではなく、日本の美意識と出会うための旅の入口になる。
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素材が語るとき——銀座「寿司 健」、渡辺健氏の握りに宿る哲学
2022年4月にオープン。 ストイックな職人魂と柔らかい人柄を兼ね備える渡辺氏の握る寿司を求め、 数多くの食通が「寿司 健」に通う。 彼の寿司は過度な味付けを避け、素材の良さを最大限に活かしたもの。 「いいお米をより生かせるように、いい魚をより良く生かせるように」と、 シャリとネタのバランスを追求した握りを提供している。
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